自分を疑う
皆さんちゃんと自分を疑えていますか?
自分を疑うとは、自分の可能性や才能を疑うことではありません。
疑うべきは、自分の正しさ。
自分の考えの正当性やバランス。
自分の視野。
自分の中の理屈。
自分の価値観。
自分にとっての正義。
これらが偏っていない人間はいません。
でも、それらの偏りを受け入れている人はいます。そして、受け入れられずに、自分だけの世界で生き続けている人達もたくさんいます。偏らないことが大事なのではありません。偏りを受け入れること、自分の一つ一つを疑っていくことで、客観的な大人の人間が出来上がります。そして、そうでないと、他者との真の関係を築くことはできないでしょう。
(ここから先はスピに興味ある人のみお読み下さい。)
もうあまり時間がないです。
すでにはじまってしまっているから。
わたしとしても、皆さんが今垣間見ている光の方に乗れれば嬉しい。(これこそ価値観の偏りです笑)せっかく狭間まで来れたのだから。あと少しなのに、そこで大きく時間を食ってしまっている人が多すぎます。皆さんがこの狭間まで来たということは、光を求めてやってきたということ。向上心に他なりません。しかし、痛みや失望を引き受けたくない一心で、その場で多くの人が足踏みしてしまっています。それだと光の存在を知っただけで、一生もうそこからは動けなくなってしまうでしょう。死ぬまで一歩踏み出すチャンスがある訳ではありません。その一歩を踏み出せるのは、ここから先どんどん困難になっていきます。なぜなら両者の溝は、間にある谷の幅はどんどん広まって行くから。今ならよいしょで済みます。人によっては本当に最後のチャンスです。今変われないなら、一生そのままになってしまいます。もちろんそっちの方がいいという価値観もあるでしょう。世の中には特に。でもここに来ている人は一度は変わることを夢見た人達。チャンスは有限である事を思い知る前に思い切って下さい。一度光を見てしまったのならば、いくら言い聞かせても諦めきれはしないから。後悔以上の後悔はして欲しくありません。どうか覚悟を持って歩いて欲しいから、新年早々のお願いでした。
皆様にどうか勇気を。と祈ってありますから〜!